【一人語り】1億ドル大作戦【人はなぜ罪を犯すのか】

 大金を前にして、自分は自分を保っていられるだろうか。

 想像もできない。

※今回はいつにも増してタイトル詐欺です。ご注意ください

目次

俺の勝ち。ほな、いただきます

 先日のことだ。

 大学の研究室で作業中、私はふとコーラが飲みたくなった。

 手を止め、最寄りの自販機へ少し歩いた。しかし、そこにはなぜかコカコーラゼロしか売ってなかった。圧倒的コーク党の私にはゼロなんて選択肢にない。そもそも糖分がほしいのだから、やはりゼロなんか買っていられない。

 普通のコーラもなくはなかったが、350mlのやつだ。当然、500mlを買うつもりでいたので、買わずに少し離れた自販機へ向かった。

そこにはコーラがあった。しかしボタンの脇で赤く光っていたのは「準備中」の文字。

 コカコーラの自販機でコカコーラにありつけないなんてことがあるのか。私は憤りを覚えながらも、コーラを求めてまた別の自販機へ。

 大学構内の至る所に自販機が置いてあるが、大学会館と呼ばれる施設の自販機コーナーはとりわけ数が揃っている。そこに行けば必ずある。

 運動不足の私は5分も歩くと息が切れた。だがむしろいい運動だ。コーラがうまくなる。

 幸い、会館の自販機にはあった。息を整える間もなく私は200円を入れてボタンを押した。

 つり銭の落ちる音が、やけに重く響いた。

 見ると、つり銭の口に100円玉がじゃらじゃら入っていた。明らかに私のお釣りではない。

 正確には、100円玉が4枚に500円玉が1枚あった。忘れ物にしては大きい金額だった。おそらく誰かが1000円入れて飲み物を買って、お釣りを取り忘れたのだろう。1000円も入れといてお釣りを忘れるとは考えがたいが、そうとしか思えない。

 私はしばらくの間、手の中の小銭をじっと見ていた。

 さまざまな考えが頭の中でせめぎ合う。

 このままもろとも財布に入れてやろうか。いや、盗みはよくない。でも900円は儲けものだ。誰も見ていない。気づいたとしても、バレようがない。でも、良心に反する。

 結局、私は小銭を自販機に戻してその場を後にした。

 お金を盗むほど追い詰められてもいないし、モラルも欠けていない。正しい行動だ。

 しかしなぜだろう。ほんの少し。ほんの少しだけ、惜しい気もした。

This is Brazil!

 せっかくなので映画と絡めて書きたい(文字数稼ぎ)。

 物を盗む映画で真っ先に思いつくのはワイルド・スピードMEGA MAXだ。先に断っておくが、私はこの映画シリーズをワイルド・スピードと呼ぶのは好きではない。この先はFAST FIVEと表記させていただく。

 FAST FIVEは簡単に言うとリオデジャネイロのボスからお金をド派手に盗む映画だ。ちなみにF&Fシリーズで私が一番好きな作品である。

 主人公のドミニクとブライアンは、長い逃亡生活を終えるためにリオデジャネイロで強盗を計画する。金額は1億ドル(現在の日本円で約140億円)。一生遊べる金を盗み、新しいパスポートを手に入れる計画だ。

 ここまで規模が大きくなると、もはや同じ盗む行為とは思えない。

 私の900円と彼らの1億ドルの違いは、金額の大小だけではない。初めから盗もうとしているかしていないかでも異なっている。

 計画的な盗みの場合、それを思いついた時点で良心もくそもない。彼らに盗みへの抵抗や罪悪感は一切ない。計画通りにお金を盗めるかどうかしか頭にない。もちろん捕まらないよう手配はするだろうが、捕まった後のことは基本的に考えていないだろう。

 道端に落ちているお金を盗む行為は、その直前までは犯罪のはの字も頭にない。現物を見て、初めて盗むかどうか判断する。

 だから、根本的に違う行為なのだ。

 犯罪者がなぜ犯罪を計画するかは、ここでは問題ではない。私が考えたいのは、犯罪から縁遠い人が誘惑を前に葛藤するのはなぜかということだ。

ハイリスクローリターン

悪魔のささやき

 盗みを働いてはならないことなんて、人並みに生活をしていれば嫌でもわかる。

 あまり派手にやると普通に捕まる。犯罪だ。

 今回の例にしたって、自販機のお釣りの取り忘れを盗んだら、法律上では窃盗罪になる。もちろん、たかが900円ではおとがめなしのケースがほとんどだろうが、犯罪なのは違いない。

 誰だって捕まりたくはないはずだ。望んで罪を犯す人はいない。

 それに、人には少なからず良心がある。正しく生きようとする意志が必ずある。

 だが、その強い意志は簡単に崩れる。

 ある種の思考実験だ。

 道を歩いていたら財布が目の前に落ちていた。誰も見ていない。中には諭吉が20枚。さあどうする?

 ここで重要になるのは、金額の大きさだ。

 ハンカチなどのちょっとした落とし物では盗もうという心理は働かないだろう。無視するか、届け出ようとする。拾ったところで役に立たないからだ。

 だが、もし落ちていたものが、大金だったら。

 盗めば犯罪だ。しかも、まず間違いなく警察も動く。

 しかし、目の前の20万円を前に、良心は正しく機能するだろうか。損得の勘定は正しく行えるだろうか。

 私は、たったの900円で決意が揺らいだ。

 盗むかと問われて、ノーとは答えられない。

 明らかにリスクの方が大きいのに、目の前のリターンが大きいとそちらを選びたくなるのはなぜだろう。

好奇心は猫をも殺す

 これは人間の想像力の限界なのではないだろうか。

 再びお金を例にしよう。目の前の大金を盗むメリットは容易に想像できる。それは日常的にお金が身近にあるからだ。月の収入はいくらで、どれくらいお金を使って、今欲しいものがいくらなのか。そこに想定外の収入が加わるわけだから、願ってもないリターンだ。

 しかし、盗めば犯罪だ。捕まるかもしれない。

 でもどうやって?

 警察がやってきて、どうなる?

 わからない。

 途端に現実味がなくなる。それは警察に捕まることが日常ではないからだ。

 テレビや本などで警察の活動を目にすることはある。時には緊迫した状況がカメラに映ることもある。

 知識はあっても、実際に体験した人はほとんどいないだろう。だから、自分の感覚で理解できない。想像がしにくい。

 恐らく人は大金を前にしたとき、損得勘定よりも、イメージを優先するのではないだろうか。ふわふわとした逮捕のイメージよりも、目の前の鮮明なお金が思考を占めていく。

 警察は怖い。犯罪者にはなりたくない。でも、実際はどうなのだろう。案外、大したことないんじゃないか? バレなければ、どうってことないんじゃないか? そんなことよりも、このお金があれば、欲しかったあれこれが買える。ちょっと贅沢ができる。いいじゃないか、誰も見ていない。バレるはずない。

 そして、犯罪は起こる。

 これが誰にでも当てはまるとは思えない。私の頭がおかしいという可能性もある。犯罪心理の専門家じゃないから何が正解かはわからない。

 けれども、あのとき、コーラを買ったあのときの私は、目の前のローリターンに心を奪われかけた。

お金より愛を

 最初の方でも書いたが、900円程度では捕まるかどうかなんて気にならない。他にも、立ち入り禁止の場所に入ったり、火遊びをしてみたりと、少々度が過ぎたいたずらをした人は少なくないはずだ。

 実際のところ、捕まるリスクはあまりないと言わざるを得ない。

 主張を曲げるようで悪いが、落とし物を盗むリターンとそれによって捕まるリスクは、もしかしたらリターンの方が大きいのかもしれない。

 だが重要なのは、それらの行為をして警察に捕まるかどうかではない。それをするに至った心の動きである。

 キーワードは、想像力だ。

 警察に捕まるかもしれない。そこまででなくても、誰かが困るかもしれない。あるいは、自分が痛い目にあうかもしれない。

 想像できなければ、行動につながってしまう。

 だが、自分の感覚で理解できないものは想像しにくい。目先の利益や、好奇心を優先してしまう。

 それだけ、人の心は弱い。

 弱い心と戦いながら、私たちは正しく生きているのだ。

 そう考えると、思いやりや優しさはすごいことだ。

「してはいけない」というマイナスの方向ではなく「したら嬉しいだろう」というポジティブな方向に想像力が働いている。

 そこに見返りはない。相手のために、という良心がある。

 だから人の優しさは美しい。

 私も、美しい心でありたい。

 900円を取り逃がして惜しむのではなく、世界平和を胸に生きていこうではないか。

 1億ドルほしいなあ。

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