非接触型のコミュニケーションが当たり前になりつつある現代の社会で、密な関係はなくなってしまうのか。
ある日ラーメン屋で替え玉を頼んだとき、私はふとそんなことを考えた。
ラーメン大好き竹内さん
ラーメン屋にありがちな文化に、替え玉がある。豚骨ラーメンをはじめ、スープがこってりどろどろしたラーメンでよく見られるオプションだ。
この替え玉だが、よく考えると面白い。
大盛りではなく、替え玉。麺のおかわりだ。
スパゲッティには替え玉がない。そばやうどんもあまり見受けられない。
不思議なシステムではないだろうか。
替え玉にも色々なシステムがある。後から注文するものや、食券で先に買っておくものもある。豚骨ラーメンがうまい店なんかは後から注文する場合が多い。
最初の注文は食券で、替え玉を頼む場合は店員に声をかける店もある。その手の店は特に店員に声をかけるのが億劫だ。食券式はコミュニケーションのストレスが少ない。店員を呼ぶのと替え玉にありつけず黙って帰るなら、人によっては帰るかもしれない。
私が大のお気に入りであるラーメン屋は替え玉を和え玉と呼んでいる。細麺であっさり目のラーメンを出すお高く留まったラーメン屋にありがちな名前である。
そのまま麺を出してくるのではなく、すでに味が付いているものが提供される。麺の上にかつお節やネギなんかも乗っていて、そのままでも味わえる一品だ。味変ができるのはありがたいが、正直なところ素のままの方がおいしい。食券を先に買っておいて注文は麺を食べてからというシステムも少し面倒くさく、私はあまり頼まない。それよりも大盛りを導入してほしいものだ。
替え玉には嫌な思い出もある。
昔、友達と一緒に行ったラーメン屋で、友達が替え玉を頼んでちょっと後に私も替え玉を頼んだら、一緒に頼んでくれって怒られたことがある。注文される度に茹でる都合で、2ついっぺんにやった方が楽なのだろう。悪いことをしたと思っている。
今になっても心のどこかで、替え玉を頼むか頼まないかを早く決めないと、という焦りがある。
替え玉=身代わり
もう1年遊べるドン!
さて、替え玉といえば替え玉受験も思い浮かぶだろう。同じ字を使っているのはなんだか興味深い。受験のおかわり、というわけではなく、本人とは違う人が試験を受けることだ。受験のおかわりなんてまっぴらごめんだ。
替え玉という言葉を雑に調べてみたところ、身代わりという意味の方が先に出てきた。
そうなるとむしろラーメン屋のおかわりを替え玉という言葉に当てはめたという認識の方が正しいのかもしれない。
センター試験など対面の試験でやる人の度胸はすごいが、問題になりやすいのはそれよりもweb上の試験の場合だろう。替え玉受験をして逮捕者が出たケースもある。
私の通う大学でもレポート課題の提出はオンラインで行うことがほとんどだ。授業によっては試験もオンラインで行われる。
やろうと思えば替え玉受験はできてしまう。その授業に思い入れがなく、単位だけ欲しいのならば、の話だが。ただし、バレないようにしなければならない。
前回の犯罪の話と若干内容が被るが、バレた後のことを考えると、自分で真面目に勉強して合格した方が圧倒的にリターンが大きいはずだ。私は絶対に替え玉受験はしない。
すり替えておいたのさ!
少し前に話題になった開成高校なりすまし事件は替え玉受験とは事情が異なる。
開成高校なりすまし事件とは
2020年9月30日に、東京都荒川区の開成高等学校に入学試験で合格した者とは別の者が通っていたことが明らかとなった。合格した者は入学辞退をしないで入学手続きをしたものの違う高校に入学していた。そして別人がこの入学手続きをした生徒になりすまして登校して授業を受けていた。
wikipediaより
合格者となりすました別人は実の兄弟だったという説が有力だ。弟が受験し、実際に通ったのは兄であるらしい。
なりすましが発覚したのは9月のはじめ頃だった。発覚後、弟は開成高校を除籍、兄は高校へ立ち入り禁止となった。
当時はコロナ渦で、入学式からしばらくはオンラインで授業が行われていた。
替え玉受験もこのなりすまし事件も、オンラインやリモートワークの普及が要因になっている。
画面の向こうをのぞく時、相手もまたこちらをのぞいているのだ
孤独の会議
この数年でオンライン化が急速に進んだが、替え玉受験のようなチートへの対策は一歩出遅れているように感じられる。
オンラインでのミーティングでカメラもマイクもオフにされると、相手が聞いているかどうかわからなくなるのも難点だ。
こうしたオンライン化の穴には現状、それぞれのモラルや良心で守られている部分が必ずある。かくいう私も、オンラインミーティングでマイクをオフにしては画面外の友人と好き放題喋っていたことがある。
画面の向こうの視線を感じることは難しい。人と繋がっているようで、その場にいる自分は一人だ。このねじれがためらいを奪う。どうせバレないからと、下半身はパンツ一丁で会社の会議に出席させるのだ。
替え玉1つ、置き配で
遠隔なら身代わりでも成り立つものがある。だが、その場で行うものはそうはいかない。
そう思うと、対面でのコミュニケーションは以前に増して重要なものになったのではないだろうか。
リモートでのやり取りをしてから人と会うと、多くのことに気づかされる。オンライン上では、相手と共有しているものはせいぜい、体の動きと音声くらいだろう。あるいは資料だろうか。
一方で対面でのコミュニケーションでは、相手と共有しているものが圧倒的に多い。
その場の空気、匂い、音、椅子の手ざわり、相手との距離、気配、時間。
与えられる情報も与える情報も段違いで多い。その分、余計な動作や関係のない発言も全て相手に拾われる。こんな当たり前のことに気づかされたのは、オンライン化のメリットだろうか
自分の挙動も相手の挙動も見えている。隠れて何かをすることはできない。これが程よい緊張感を生み出す。いい方向に働けば、相手へのリスペクトであったり、コミュニケーションへの高い集中力の発揮だったりが期待できそうだ。
対面でのやり取りの価値は、オンライン化が普及すればするほど高まるに違いない。
飲食のチェーン店はタッチパネルで注文することが当たり前になった。はま寿司なんかでは、席の案内もタッチパネルで行われ、店員と接触するのは最後の会計くらい。
アマゾンをはじめとしたネットショッピングも、置き配が主流になりつつある。
ボタンをぽちぽちしているだけで頼めるのは楽だ。精神的なストレスも少ない。
これから先、面倒な手続き関係も全てオンラインで完結する時代になっていくだろう。人と直接会って話すことが娯楽のカテゴリーに分類されてしまうかもしれない。
遠隔のコミュニケーションは人間関係を希薄にする。だが、運用の仕方次第ではより「密」なやりとりができるはずだ。
ネットの中だけ、画面の向こうの存在ではない。人間は実在するのだ。
だから臆せずに、店員さんに面と向かって言ってほしい。
替え玉1つ。
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