【自作小説】『いつか死にゆく俺たちは』(5/7)

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自作小説です。

カクヨムにも投稿しています。

本文は以下から。

 ここで死のう。そう決めたのは、橋の上だった。川を横切って建てられたそれは、昼間こそ交通量が多いが、深夜にはほとんど人気がなくなる。ここに限った話ではない。故郷はそういうところだ。

 優しくも力強い水の流れの存在感に負けじと、虫が鳴いている。残り少ない命を燃やし尽くしているかのようだった。俺の命ももうすぐなくなる。

 手に持った拳銃は、拾ったときよりも重かった。命の重みというものだろうか。それとも、無意識の内にある死への恐怖だろうか。

 もう片方の手には俺の小説があった。死んだ後に、これが俺をユキのところへ連れて行ってくれるような気がしたのだ。俺は小説を懐にしまった。

 俺は欄干に腰を掛けた。頭をぶち抜いた後、そのまま銃もろとも川に落ちるつもりだ。

 俺は銃を咥えた。

 一瞬だけよぎったのは、なぜかマリナの顔だった。あの夜の、力強い瞳。

 撃鉄を起こそうとして、俺はやめた。人の足音がはっきりと聞こえたからだ。

 銃を隠す暇もなく、手に持ったままその人と目が合った。

 女子高生だった。近くの県立高校の校章が灯りに照らされた。塾の帰りだろうか。それにしては時間が遅すぎるし、鞄も何も持っていなかった。

 このようなことは想定していた。だが俺はその場で動けなくなっていた。

 俺の手元に女子高生の目線が注がれる。

「それ、本物?」

「ああ、本物だよ」

 どのように誤魔化すか考えた上での答えだ。頭のおかしい人だと思わせて、追い払うつもりだった。

「ふーん。じゃあ、それでわたしを殺してよ」

「は?」

思ってもみない反応だった。俺も心底驚いた。

「ダメなら貸して。自分でやるから」

「何言ってんだ。そんなことできるわけ――」

 バッと素早く女子高生の腕がこちらに伸びた。本気で俺から銃を奪い取ろうとしていた。

 たまらず俺は彼女の腕を掴んだ。抵抗されたが、俺は離さなかった。それは折れてしまいそうなほど細く、力も弱かった。

「離して……!」

「そっちが先だろう!」

 女子高生は反対の腕で殴りかかってきた。俺はたまらず受け止めたが、銃を足元に落としてしまった。

「バカ……やめろって!」

 力の限り女子高生を突き飛ばした。その一瞬、灯りに照らされた手首に無数の傷が見えた。

「なんだってそんなこと。君は何しにここにいるんだ」

 女子高生は答えない。ただ真っすぐ、生気の抜けて落ちくぼんだ目で俺を見据えていた。未来ある若い女の子がしていい顔ではなかった。

 それから突然、女子高生は泣き出してしまった。何もかもをぶちまけるような、激しいものだ。彼女は自暴自棄になる寸前だった。

「もういい! わたしなんて! わたしなんてもう――あああああっ!」

 女子高生は走り出した。しかしその方向が致命的に間違っていた。

 一歩目を踏み出したところで、俺は彼女が何をしようとしているのかが分かってしまった。俺も同じことをしようとしていたからなのかもしれない。

 そこでどんな心理が働いたのか。これはどんな言葉で書き尽くしても表現しきれないだろう。その場にいた俺自身が、その瞬間に感じたことが全てだった。

 気づいたら俺は女子高生を抱きかかえていた。女子高生は片足を欄干にかけて、今にも川へ飛び込まんという姿勢のままだった。

「やめてえっ! なんで止めるのっ!」

「分からない!」

「じゃあ離してよ! 行かせてよ! わたしを死なせてよっ!」

「それは駄目だ!」

「どうして! どうしてなの――!」

 次第に女子高生の身体から力が抜けていく。

 俺は一気に力を籠めて女子高生を引っ張った。子犬でも抱えるかのように簡単に身体が持ち上がり、勢いが余って俺もろとも歩道に倒れ込んだ。

 少しの間、辺りが静まり返った。俺が必死になっていただけなのかもしれない。やがて思い出したかのように虫たちの大合唱が始まった。

 女子高生は顔を俯けて力なく泣いていた。とても見ていられなかったが、また何をするか分からない。俺は彼女の気が済むまでずっとそばにいることにした。

 小一時間泣き続けて、ようやく女子高生は泣き止んだ。泣き気力がなくなっただけかもしれない。

「満足したか?」

 女子高生は首を小さく三回、横に振った。

「そうか。君は、どうしてあんなことをしたんだ?」

 答えは返ってこない。ただ俯いているだけだ。

「とても普通には見えなかった。何かあったんだろう?」

 女子高生は拒絶するように何度も首を振った。長い髪が乱れる。

 またなのか。また俺からは何も――。

 沈黙が闇と共に重くのしかかる。この女子高生に何かしてやりたいという気持ちと、どうせ何の力にもならないという諦めに板挟みにされていた。

 しかし俺はそこまでネガティブにならなかった。上手くいかないなら、やり方を変えればいい。そう考えられるくらいには、冷静でいられた。

 欄干に背をもたげている女子高生に、俺は銃を見せた。

「これは何だか分かる?」

 女子高生はそこで顔を上げて、胡乱げな目で俺を見た。

「銃、でしょ……」

「そう、当たり。じゃあ何で俺がこんなものを持っていると思う?」

「なにそれ。知らない」

 女子高生は少しだけぶっきらぼうな口調だった。俺は食いついたものだと思って話を進めた。

「実はね、こうするためなんだ」

 俺は大げさな動きで銃を口に咥えた。きゃっ、と小さく悲鳴が上がった。

「知ってるか? こめかみを撃ったら失敗することがあるんだ。銃の反動は大きいからね。下手したら中途半端に生き延びて、一生障害を負って生活することになる」

 喋るときだけは銃を口から離した。本気で撃つつもりはない。ただし銃口は常に自分を向けている。

「わ、わ、分かったから、早くそれを――!」

「嫌だね。俺はもう死ぬんだ。こんな世界とはおさらばしてやる」

 女子高生は見るからに動揺している。思いの外、素直で良い子だ。

「君も死にたいのだろう? 止めるなんておかしいよ」

「それはおじさんもでしょ?」

 しまった。痛いところを突かれた。きっとこの子は頭が良い。

「いやまったく、君の言う通りだ」

 俺はあっさりと銃を下ろした。それには女子高生も呆れていた。

「何がしたいの」

「そうだな。これで君も少しは元気になったかなー、なんて」

「ぜんぜん元気じゃない!」

「元気じゃないか」

「そんなこと……」

 再び女子高生は下を向く。しかしそれは、先ほどとは別の感情の働きによるものだった。

 橋灯がぼんやりと女子高の頬を照らしている。病的にまで白く、肉付きも悪い。そこへわずかに朱が差している。

命を刈り取らんばかりに轟々と流れていた川は、今は穏やかだった。

「何か、あったんだよね」

 もう一度、俺は訊ねた。だが、また女子高生は唇を強く結んでしまった。

 何か吐き出したいものがあって、それを出せずに苦しんでいるように見えた。どうにか喋ってしまえば、彼女もきっと楽になる。それは彼女自身もきっと分かっている。

 その相手がいないために、彼女は独りで抱えるしかない。

 俺は生憎、彼女の苦しみを受け止められるほど器の大きい人間ではないし、こっちはこっちでお取込み中だ。

 だから俺は受け止めない。

「独り言でいい。好きなように喋って。俺は聞かないから」

 女子高生が俺を見上げた。あえて俺は目を合わせない。

 しばし沈黙が降りる。それは次へ動き出すための、助走のようなものだった。

 やがてゆっくりと女子高生は口を開いた。

「もう、嫌なの。これ以上は、耐えられない」

 そこには行き場のない怒りがあった。一度流れ出したら歯止めが利かなくなる。

「いつもいつも勉強しろって、うるさいんだよ。わたしのことを何だと思ってるの。わたしだってやりたいことがたくさんあるのに、毎日塾に行って、友達はみんな遊びに行ってるのに、わたしだけ勉強なの?」

 言葉の端に力が込められていく。

「旧帝が何よMARCHが何よ、頭の良い大学に行った方がいいなんて、そんなことわたしにも分かるよ。言われなくたって、勉強しなきゃいけないことなんて。わたしは何なの、ロボットなの? やること全部、指示された通りにしなきゃいけないの? 馬鹿みたい。それなら、それはわたしでなくてもいいじゃない」

 心の底からの叫び。誰にも言えなかった苦しみ。それら全てを、川の流れが受け止めてくれた。俺はそれを横から眺めているだけだった。

「勉強なんて嫌い。大っっ嫌い。死んでもやるもんか。嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ――」

 女子高生はぎゅっと目を瞑り、ありったけの空気を吸い込む。

「馬鹿野郎、バカヤロー! ばかやろおおおおお!」

 最後の一滴まで絞り出す。喉が擦り切れるまで、叫び続ける。

 受け止める相手のいない言葉が放物線を描き、川に溶けていった。

 全て終わった後の女子高生の表情は、少しだけ軽くなっていた。

「満足したか?」

 女子高生は首を大きく一回、縦に振った。

「じゃあ、次はおじさんの番ね」

「はあ?」

「おじさんだって、悩んでるんでしょ? 言っちゃいなよ。誰も聞く人なんていないから」

 これはまた予想外な。

「こう、思いっきり息を吸って叫ぶの。バカヤローって。ほらほら」

「待てって、俺は別に……」

「言わなきゃここから飛び降りる」

「やめろ、それだけはやめろ」

「じゃあ言ってよ」

「……分かった」

 仕方なく俺は欄干に手をついて息を吸った。

「ばかやろう」

「声が小さいよ?」

「知るかっ!」

「そっちのが大きいじゃん」

 こいつ、元気になったと思ったら生意気な奴だ。

 だが、女子高生はどこか楽しそうだった。さっきまでは本当に死んでしまいそうだったのに、まるで人が変わったように。

 きっかけなのだろうか。それがあれば、俺もこんな風になれるのか。

 俺は女子高生を面倒に思う一方で、羨ましいとも思っていた。

 こんなにあっさりと、立ち直ってしまう。彼女を見ていると、俺がずっと悩み苦しんでいたことが、ちっぽけだったように感じてしまう。

 いや、それはない。ユキの死は決してちっぽけなんかじゃない。ちっぽけではないが、何だろうか、この感覚は。

 いつしか心の隙間から、これまでとはまた違った感情が芽を出していた。

 それは死に向かう俺を引き戻そうとしていた。

 この女子高生のせいなのか。彼女と出会わなければ俺は、とっくに死んでいたはずだ。とっくに死んで、ユキのところへ。

 銃弾の代わりに疑問が脳裏をかすめた。

 本当にそうだったのか? 本当に俺は死にたいのか?

 死にたいならどうして、俺は女子高生を止めたんだ。死にたい奴は勝手に死なせて、俺は俺で死ねばいい。だが俺はそれを許さなかった。

 それはどこかで、まだ死にたくないと思っているからではないか。

 馬鹿な。ずっと準備してきたのだ。

 俺は思い直して銃を握りしめた。簡単なことだ、引き金を引くだけでいい。

 だが、俺の手は震えていた。どうにも動かない。俺は死ななければならないのに。

「どうしたの?」

「……死にたい」

「え?」

 俺は襲い掛かる勢いで女子高生の肩を掴んだ。

「死にたいのに、死ねないんだ!」

「ひっ……!」

「俺は死にたいんじゃなかったのか! ユキが死んで、生きる意味を失ったんじゃなかったのかっ!」

 見ず知らずのか弱い女の子に、黒く醜い言葉をこれでもかと浴びせる。完全に自分を見失っていた。

「何のために生きてきたんだよ。あいつに振り向いてもらいたくて、それだけのために生きてきたのが馬鹿みたいじゃないか。それじゃあ俺はただの馬鹿じゃないか! あああっ!」

 女子高生の顔が恐怖に歪む。

 俺はそこで我に返り、女子高生を解放した。

「いや、そんな気はないんだ……」

 てっきり逃げ出すものだと思った。だが女子高生は逃げずに、俺と向き合った。

 憐れむような眼差しだった。か細くて、不安定に揺れている。けれど、マリナが見せたものと同じものだった。

「大切な人を亡くしたときの気持ち、正直分からないけど。でも辛いってことは分かるよ」

 女子高生は真摯に俺を理解しようとしていた。初めて出会い、今後一切関わらないだろう俺を。

 なんだよ。どっちが慰められているのか、分からないじゃないか。

 自分の情けなさが恥ずかしい。好きな人が死んで、馬鹿みたいにわめいて、それを通りすがりの女子高生に慰められる。三十手前の大人がしていいことじゃないな。

「おじさん……?」

 女子高生が俺を覗き込む。

「いや、大丈夫だ。俺のことはもう心配しなくていい」

 俺は、口の端がつり上がっていることに気づいた。笑っていたのだ。

「それよりも、君の方はもう大丈夫なのか?」

「え、わたし? ……わたしは、大丈夫、だけど」

「そうか。ならば俺がもうここにいる理由はないな」

 思いきり叫んだからだろうか。俺はすっかり死ぬ気をなくしていた。早いところホテルに戻って、ゆっくり眠りたい。

 突然出会って、醜い姿を見せてしまった女子高生には申し訳なく思う。しかし同時に、感謝もしていた。俺の中の何かを変えてくれたからだ。

「俺は戻る。君も早いところ――」

 家に帰るといい。俺はそう言いかけて、やめた。

 背中を押す言葉は、時に致命的な傷を与える。まさに飛び降りようとしている人に向かって、頑張れと言ってみろ。背中を押して、自殺を手助けしてしまう。

 それに、俺はその言葉を言える立場ではない。

「――いや、なんでもない」

 俺はそのまま女子高生に背中を向ける。何も言わない方がいいと思ったからだ。

「……おじさん!」

 しかし女子高生が俺を呼び止める。

 振り向いたとき、俺が思った以上に彼女の顔が近くにあった。

「ありがと」

 女子高生は少しぶっきらぼうに言うと、軽やかに踵を返した。その姿にはもう、放っておくとどこかに行ってしまいそうな危うさはなかった。

「ちょっと待ってくれ」

 今度は俺が女子高生を呼び止めた。どうしてか、このまま別れてしまいたくなかった。

彼女が足を止めたところで、俺は懐に手を入れた。

「これはちょっとしたプレゼントだ」

 素早く引き抜いて女子高生に突き付けたのは、俺の小説だった。

「本……?」

「俺が書い……好きな作家だ。今度新作が出る。間違えて二つ買ってしまったから、君に一つあげるよ。どのように扱ってもいいさ。この場で放り捨ててもいい」

「本当に?」

「もちろん」

 女子高生は少しためらった後、がっしりと小説を掴んで橋の向こうへ豪快に投げた。

「ああっ! ああーーー!」

小説は斜め下へ一直線に落下し、川の流れに飲み込まれていった。一瞬の出来事だった

まさか本当に捨てるとは思わなかった。俺はしばらくの間呆然としてしまった。

 女子高生は小説の落ちた先を見つめながら言った。

「ごめんねおじさん。何となく、本当に、何となくだけど、こうするのが一番だと思ったの」

 それからこちらを伏し目がちに見た。

「だめ、だった?」

「いや、あれでいいんだ」

 あれでいいんだ。俺は胸の中でもう一度言った。

「どうして、捨てるのがいいなんて思ったんだ?」

 訊ねると、なぜか女子高生は目を逸らし、シュンと肩を落とした。

「ああいや、そうじゃないんだ。ただ聞きたいだけ。怒ってなんかいないよ」

 マリナにも同じような反応をされたような気がする。もしかして俺は、おっかないのか。

 俺が怒っていないと分かると、女子高生は口を開いた。

「何となく、だよ。何となく、おじさんはあの小説を持っているのがツラいのかな、なんて思っただけ。大切なものだけど、でも同じように自分を苦しめるもの。そんな気がしたから」

 驚くほど頭の切れる子だ。そうでなければ超能力者か何かだ。

 彼女は人の気持ちを理解する力に長けているのだろう。どれだけ建前や嘘で固めても、それを通り抜けて本音を的確に突ける。

 実際に俺は、自分自身でも気づいていない部分を暴かれた。全くもって彼女の言う通りだった。あの本には、俺の未練が詰まっていた。それをどうしても断ち切れなかったのに、彼女はあっさりと。

「君は、すごいな」

「そんな、わたしは思ったことを言っただけで」

 理解できてしまう反面、他人を立ててしまい、自分の気持ちを抑え込んでしまっている節がある。それは彼女の良いところであり、同時に、彼女を苦しめていた。

「それで、いいと思うよ」

 寄り添ってくれる人がいればきっと、彼女は変われる。自分を表現して、それを受け止めてくれる人がいれば。

 それはここにいる俺じゃない。彼女自身がこれから見つけなければならないことだ。俺ができるのは、彼女が変わるための手助けだけだ。

「たまには、自分に甘えてもいいかもしれない。思いきり諦めるんだ」

「思いきり?」

「そう。全部放り投げて、空っぽになる。そうすれば、新しい何かが入ってくるかもしれないだろう?」

 新しい発見をしたかのように、女子高生の目が輝いた。

「それ、とっても素敵だね」

「その場の思いつきさ」

「流石小説家」

 俺は照れくさくてはにかんだ。つられて女子高生も笑う。

 気づけば、うっすらと空が白くなっていた。夜明けが近い。

 俺たちは言葉を交わさず、登りゆく太陽を眺めた。それは色濃く輝いて、生きる力に満ちていた。

 女子高生のその後を知ることはなかった。ただ、別れたときの背中を見る限りは、彼女は大丈夫だ。

 大丈夫ではないのは、俺だった。俺の手には未だに、拳銃が握られていたのだ。

 キザキから電話が入ったのは、その一週間後だった。

 何をすることもなくホテルの部屋の窓を眺めていた俺は、誰でもいいから話し相手が欲しいところだった。

 しかし電話口から聞こえたキザキの声は、いつものお調子者ではなかった。

「今どこにいる」

「どこだと思う」

 知るかっ! と怒鳴られる。冗談が通じない。

「こっちでは今ちょっとした話題なんだ。お前が突然失踪するからって」

「原稿は送っただろ。何が問題なんだ」

「その原稿が問題なんだよ!」

 ノイズにまみれた怒号が耳をつんざいた。あまり睡眠を取っていないから、脳みそが揺さぶられる。

「お前、自分の小説がどれくらい売れてるか、ちょっとは気にしたことあるか?」

 そのように訊かれると、すぐには答えられなかった。

 試しに自分の作品を検索してアマゾンのページを開くと、タイトルの下に小さく「ベストセラー1位」という表示があった。

 考えてみれば、売り上げを気にすることはあっても、ユキに届いているかどうかを心配するだけだった。むしろキザキがそこら辺に執着しすぎている。

「ないね」

「ふざけるなっっっ!」

今にも携帯から飛び出してきそうだ。キザキは本気で怒っていた。

「お前みたいなやつがいるから――!」

 携帯の向こう側で嗚咽を堪える音が漏れ聞こえる。

「何が言いたいんだ」

「どこにしまってあるんだよ」

「はあ?」

「どうしてそんなに書けるんだよ! 教えてくれよ!」

 そんなの知ったこっちゃない。俺はきっちりしている方ではないから、理論とかそういうのは説明できない。よほどキザキの方が分かっていると思っていた。奴はアマチュア向けにセミナーも開いている。

「自分で考えてくれよ。そういうの得意だろ?」

「お前という人間は、本当に……」

 キザキはそれきり黙ってしまった。

 俺はキザキが怒っている理由の検討がつかなかった。奴が俺をライバル視していることは分かっているが、ここまで怒りをぶつけられたことはなかった。

「俺が何かしたんだったら謝るから。言ってくれよ」

 からかうつもりで言ったのではない。だがそれが、キザキの逆鱗に触れた。

「お前……」

「なんだ?」

「…………いや、いい」

 言い切らないうちに電話が切れた。

 かけ直したが、着信を拒否されてしまった。

 ただ事ではないことは分かっている。しかし俺はキザキのことだからと、それほど気に留めなかった。

 それが深刻な事態を招くことになるとは、このときに想像できるはずがなかった。

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