運転中に周りが見られない人は車から降りるべきだ。
自分一人で死ぬだけなら構わないが、人を巻き込んだら大変だ。相手を人殺しにしてしまう。私だって人殺しにはなりたくない。
だから悪いことは言わない。車から降りて、二度とハンドルを握るな。
今回、一部に過激な表現が含まれます。苦手な方はブラウザバックをお願いします。
毎日必ず見る迷惑な奴
運転への意識が足りていない奴
私が免許を取ったのはおよそ3年前。今はようやく一度目の更新を終えたところだ。
この3年間でおよそ40000kmを走行してきた。3年間でようやく地球一周だ。そう考えるとまだまだだ。
もはや初めて公道に出た頃のドキドキは失われているが、注意力までは失っていない。むしろ以前に増して周囲を注意して運転するようになった。
いつからかは定かではないが、このところ、運転が下手な人が多すぎる。毎日、必ず一台は目にする。致命的に操作が下手な車というのは珍しいが、細かな部分に気を配れない能なしの多さといったらない。ウインカーのタイミングといった初歩的な部分から、速度の維持、標識の見落とし、信号待ちでの車間距離など、少し周りを見ていればおかしいと気づくことに気づかない。
竹内ドライビングスクール開校
ということで、私なりに安全運転への心構えを書いてみようと思う。
こんな辺境のブログにたどり着く人なんて数えるほどしかいないだろうが、これを読んで安全運転の意識を高めてもらいたい。
教習所で習うことは頭に入っていることを前提にして、さらに発展した内容を扱う。
もちろん、これは公式のルールではない。言ってしまえば私個人のわがままであるが、少なくとも以下の記述を守ってさえいれば「安心安全」な運転ができるはずだ。
安全運転のために
標識を守れ
標識は何の意味もなく立っているのではない。その道路がどのような道路なのかを知るのに最もかつ唯一信頼できるのが標識だ。
「止まれ」を見たことがあるな?
読めないのか?
運転中もそうだが、歩いているときにもよく止まれの標識に差しかかる車を目にする。が、標識を守っている車は100万台に1台だ。誰も彼もが一時停止をしない。
日本の人口はおよそ1億2000万人で、国土交通省によれば2024年6月末時点での自動車保有台数は89,797,017台である。およそ9000万台だ。
9000万台のうち、日本人はどこへ行ってしまったのか。
「止」という漢字は小学校の2年生で習う漢字であるから、止まれで止まれないドライバーは日本人ではないか、あるいは義務教育を終えていないかのどちらかしかあり得ない。
止まれで止まれないのは、単なる一時不停止という問題にとどまらない。その程度のことすら気を配れないクソドライバーであることを、彼らは身をもってアピールしている。
「私は止まれすら止まりません。周りを見られない危険極まりないドライバーです。よろしくお願いいたします」
願い下げだね。
スピードを出せ
上記のトピックといささか矛盾するかもしれないが、これは両立する。つまりは走行中は速度を一定に保つことが重要である。
速度維持は他の運転技術より過小評価されているように思える。それもそのはず、速度を維持できないことで直接的に事故につながることはまずないからだ。だが、軽視はできない。渋滞を引き起こす原因でもあるからだ。
特に多いのが、坂道での加減速だ。たとえば制限速度が50の道で前を走る車がメーター上で50で走っていたとしよう(すでにこの時点でムカつくほど遅いのだが、ここでは許そう)。そいつが上り坂に差しかかる。するとみるみるうちに速度が落ちていき、最終的にメーター上で30と40の間くらいまでになる。
やがて上り坂が終わり、道が下りはじめる。そいつは思い出したかのように速度を上げる。私はぴったりとついていく。ようやくいい速度になった。メーター上では60をさしている。下り坂も終わり、道が平たんになると、相手はゆるやかに減速していき、メーターは再び50に戻る。私に殺意が芽生える。
こんなドライバーを見たことがあるだろう。腹立たしいことに、どいつもこいつも嫌がらせをするつもりはない。こいつらはどこを走っていようが、何も考えず、頭空っぽで、アクセルを同じように踏んでいるだけだ。目が二つあって、普通免許を取得できるくらいの知能があるなら、こんなことはあり得ない。彼らは家に忘れ物をしている。すぐに取りに戻って、ガレージを二度と開けないことをおすすめしたい。
こうしたちんたらのんびり走っているやつのせいで、しなくてもいい場所でいらない減速をする羽目になる。するとどうなるか、私のさらに後ろのドライバーも減速することになる。何台か続いていたら、最後尾のドライバーはほとんど止まりそうになる。渋滞はこうして起こる。詳しくは知らないが、前の車が踏んだブレーキの量より、後ろの車の踏むブレーキの量の方が多くなるのは感覚的にわかるだろう。
他にもいる。これは加減速との合わせ技であることが多いのだが、単純にペースが遅い車が一定の確率で発生する。一般的に、制限速度の標識のない道路は60キロが制限速度であるが、奴らはそこを40キロで走る。しかもメーター上で40だ。だから実際はさらに5キロほど下回る。
何を考えているのか。いや、何も考えていないのだ。
こうしたバカドライバーというと老人が想像されがちであるが、全然そんなことはない。大学生かそこいらの若い連中も平気でやらかす。
農道を150キロで走れとは言っていない。ただ60キロの道を60キロで走ってくれさえすればいいのだ。そうすれば、充分とは言えないが、最悪ではない。
割り込みするな
無理な割り込み。これもよくやられる。最悪のタイミングでわき道から飛び出して私の進路を妨害する悪の権化だ。
割り込みをする奴らに共通する挙動がある。鼻先を突き出して一旦止まり、なぜか少し考えてから、あり得ないタイミングで飛び出す。そして往々にして、合流してから一向に加速しない。
正直なところ、私も時々やる。だが私は後続車がブレーキを踏まないよう、合流した瞬間にアクセルをブラジルまで踏み抜いている。そしてバックミラーから後続車を消す。
それくらいの覚悟を持っているなら割り込んでもいい。そして二度と視界に現れるな。
MV制作
以上のことが守れないドライバーが蔓延するのは、あまりに危険である。
何か手を打たなければならない。手を打たずにはいられない。
私は決心した。車の中で文句を言っているだけでは何も変わらない。
私の意志に賛同してくれた友人の協力のもと、我々は一つのミュージックビデオを制作した。
ありがたいことに公開から2週間で2000再生を突破した。これがさらに多くの人の目に触れることを願いたい。
「AT限定は甘え」や「殺すぞ」が一人歩きしているが、この歌詞には周りを見て運転してほしいというメッセージが込められている。
友人いわく、この歌詞は私が普段の運転中に言っていることそのものらしい。その通りである。だいぶ強い口調の歌詞だが、私の必死の訴えであることの裏返しでもある。
ちなみに撮影に使用した車両は私の愛車だ。ドライバーは私本人である。この動画のせいで私の身分と顔と愛車が全世界にさらされることになったわけだ。twitterのアイコンは可愛い女の子になっているが、現実はただの野郎なのだ。
映像に関してだが、よくできたと思う。メーターのアップからの素早いシフトチェンジの場面は特に気に入っている。
カーアクションにありがちなカットだが、よく再現できている。全体的にスピード感があり、歌の題材とよく合っている。
楽曲の提供と、編集をしてくれた友人にはこの場で改めて感謝をしたい。
それでもやはり、AT限定はダサい
安全運転に技術はいらない。ヒールアンドトゥなんてできなくていい。私もできない。
必要なのは、周りを見ることだ。常に路上で何が起こっているのかを把握し、数秒後に何が起きるのかを予測しながら運転すること。最悪な事態も起こり得るということを頭の片隅に置いて、いつでも危機回避ができるよう準備をしておくこと。
もう一つ忘れてはならないのは、公道では他のドライバーも運転しているということだ。自分一人が運転しているのではない。彼らに迷惑にならないように、また、彼らの下手な運転に巻き込まれないようにも、自分がどうしたいのかを明確にしなければならない。曖昧ではいけない。この考えがあれば、ウインカーを直前に出すこともないし、無理な割り込みをすることもない。
これらができて初めて、安全に運転ができる。決してイキってはならない。
3000万円のスーパーカーに乗っている知り合いの言葉がある。
「かっこつけて運転しても、誰も見てくれない。」
最高にイカした車に乗っている人の言葉だ。重く受け止めたい。
これを読んでめんどくさいと思ったら、運転しない方がいい。自分の身のためだ。私はただ周りを見ろと言っているだけだ。目がついていれば誰でもできる。
できないのなら、二度とハンドルを握るな。
ボーっと運転してんじゃねえぞ。
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