【自作小説】『夕日に揺らめく』(5/5)

前回のお話はこちらです。

自作小説です。カクヨムの方にも投稿しています。

今回で完結です。本文は以下から。

――6日目。

 アラームが遠い。夢と現の狭間を行き来しながら、手探りでスマホを掴んだ。時刻はすでに起きる時間を過ぎていた。

 寝返りを打つと、固い感触が返ってきた。天井の位置が心なしか高い。

 自分が床で寝ていたことに時間差で気づいた。

 なんで、床になんか寝て……

「あ」

 飛び起きた。

 カゲロウ。

 枕を濡らした夜の記憶が蘇る。

 ベッドを見た。無防備な顔ですーすーと寝息を立てている女の子の姿があった。カゲロウだ。

 一気に全身から力が抜けた。

「ああ、よかった……」

 ぺたん、と布団に座り込んだ。カゲロウはまだ生きている。

 安心したら、自分を客観的に見ることができた。昨日はどうしてあそこまで不安になっていたのか、不思議でしょうがない。だって、カゲロウは今もここにいるじゃないか。

 カーテンは開けず、カゲロウを起こさないようにそーっと部屋を出た。

 一人で朝食を済ませ、一人で着替える。カゲロウはまだ寝ていた。

 玄関を出るときも、見送る人はいない。元々そうだったから、特に思うことはない。一人で学校へ向かった。

 いや、それは嘘だ。思うことはないと、何度も自分に言い聞かせていた。

 学校は、相変わらずだ。周りの人とはまだまだ大きく離れている。以前と違うのは、背中を追いかけようとしているところだ。ハナから諦めていた前の俺よりは、遥かにましになっている。

 週明けの学校をそつなくこなし、早くも放課後。勤勉な学生が多いこの高校は、残って勉強するか他の場所で勉強するかの大きく二つに分かれる。帰り道に女の子とふらふらと遊んでから帰るなんてことは無いんだよ。

 俺は寄り道することもなく家に帰った。もちろん、勉強をするためだ。

 心なしか帰路を歩む足が速かった。

「ただいまー」

 誰もいない玄関に虚しく響いた。出迎えてくれる人はいない。いつものことだ。

 リビングに鞄を置き、手を洗ってから、水を一杯飲む。落ち着いてくると、お気に入りの曲の鼻歌でも歌いたくなる。

 聴く人のいないアカペラを家中に響かせながら、二階へ上がる。

「ういー、ただいまー」

 二度目。自分の部屋に入るときも、つい言ってしまう。

 当然、誰も返事をしない。

 鞄を脇に置き、机に座る。カーテンは閉めたままになっている。

 手に馴染んできた参考書と、残り少ないノート。勉強は始めてしまえば長く続くけれど、最初に取りかかるのに苦労する。前はそのために何度も苦しんだ。でも、今はもう大丈夫。彼女の言葉が原動力になっている。

 十分もすればペンが乗ってきて、頭の回転も速くなる。余計なことも浮かんでくる。母さんが言っていた俺の従姉。大学生であることしか知らないけれど、どんな人なのだろうか。今度のサッカーの代表戦、あの選手は出場するのだろうか。良かったら、彼女と一緒にでも観ようかな。彼女と、一緒に。彼女と……一緒に。

「…………ちょっと待て」

 拭いようのない違和感。今日俺は、家に帰ってきてから、誰にも会ってない。

 母さんはまだ仕事に行っている。いないのは当たり前だ。

 じゃあ、彼女は?

 彼女は、どこへ行った?

「……カゲロウ」

 弾かれるように部屋を出た。踏み外しそうになりながら階段を駆け下りる。

「カゲロウ」

 走り回った。部屋という部屋を探した。扉は片っ端から開けた。どんなに小さなものでも。

「カゲロウ!」

 血の気が引いていく。心臓が鷲掴みされたようだった。

 どこだ、どこに。

 嘘だ。何かの間違いだ。だって。まだ。まだ六日しか経ってない。

 たまらず玄関を飛び出した。

 当てもないのに、町中を走り回る。俺を怪訝な目で見る人々はお構いなしに、彼女の姿を探した。

 しかしどこにも見当たらない。時間だけが無益に溶けていく。

「どこ行ったんだよ……」

 もしかしたら、あそこかもしれない。根拠はない。でも、今はそこ以外に考えられなかった。

 橋から覗く夕日が、赤く無慈悲に俺の目を灼く。

 河川敷に降りた。聞き覚えのある声が飛び込んできた。サッカー少年たちだ。

 ふと、淡い希望が浮かんだ。カゲロウがちゃっかり少年に混ざっていないだろうか。しかし、すぐに川の轟音にかき消された。

「おねえさん? 知らないよ」

「学校の帰り道にみかけたりもしてない?」

「うん」

「そっか……。ごめんね、邪魔しちゃって」

 少年たちもカゲロウの姿は見ていなかった。

 川岸に立っても、ちっとも心は落ち着かない。むしろ、止めどない水の流れに掻き乱される。浮かんでは消え、浮かんでは消え。掴み所のない考えだけがぐるぐると巡る。

 ふと向こう岸を見た。人の踏み入れない草や低木の周りを、羽根のようなものが無数に舞っていた。ひらひらと、風が吹けばいっぺんに飛ばされてしまうほど弱々しく。

 いつの日か調べたことがあった。ちょうどこの季節、夕方の薄暗いときを狙って一斉に羽化する昆虫がいた。それは寿命が短く、子孫を残したらすぐに死ぬ。地域によっては、その翌日に無数の死骸が粉雪のように積もっていることもある。

「……カゲロウ」

 俺はその虫を知っている。

 一匹一匹と、命を燃やし尽くしていくのが、遠目でも見える。次々と、仲間を追うようにして、川の流れに飲み込まれていく。

 無数の命が散っていく様を、俺は見ていることしかできなかった。当然だ、俺には止めようのないことだから。どんなに抗ったって、どうしようのないことだから。

 受け入れるしかない。死は平等にやってくる。自分が認めなくても、向こうは容赦なく終わらせてくる。それをどんなに嘆いても、帰ってくることはない。そんなこと、初めから分かっているつもりだった。

 けれど、いざ直面すると、思った通りにはいかないものだ。ひとりでに、涙が流れる。止めたくても、止められない。かろうじて、嗚咽は堪えている。それだけだ。

 膝に力が入らず、崩れるように座り込んだ。喪失感に全身の力を奪われた。

 何度も彼女の名前を呼ぶ。分かっているのに、受け入れなければいけないのに、欠片もない望みにすがってしまう。

 でも、今日だけは、許してくれ。

 心の中で、何度も言い訳をする俺の姿が、どれほどみっともなかったことか。

 陽が落ちて、辺りが闇に塗りつぶされても、しばらく俺はそこから離れなかった。

――X日目。

 暑さが本格的になってきた。出歩くときにタオルを手放せない。いよいよ迎えるのは受験生の正念場、夏休み。ここでどれだけ基礎を固められるか。それで合否が決まると言っても過言ではない。それだけに、サボっていた分のロスは大きい。

 でも俺は、着々と前進している実感を得ていた。この調子でいけば、あるいは。

 俺の中で未だに熱を持っている、あの言葉。それと、あの日からずっと空いた、大きな穴。二つを抱えながらも、俺はなんとか受験生生活を送っていた。

 カゲロウが帰ってくることはなかった。次の日も、その次の日も。

 何も残さず、消えるようにしていなくなった。俺がすぐに彼女のことを忘れられるようにしてくれたのかもしれない。

 あの日から俺は、しばらくの間沈みに沈んでいた。ショックはやはり大きかった。最初から一週間だけと伝えられていたのにも関わらず、だ。心のどこかで、まだ大丈夫、と空虚な安心感を抱いていた。さながら、夏休み残り一週間の謎の無敵感のようだった。共通しているのは、現実は厳しく、失ってから後悔が押し寄せてくるところだ。

 母さんには助けられた。俺の悲しみを唯一知っている。俺に、立ち直るための時間を与えてくれた。子供のような駄々も、受け止めてくれた。時には叱って、現実を見つめることを教えてくれた。母さんが俺の母さんでなければ、立ち直れたか分からない。

 それでも、事あるごとに彼女のことが出てきてしまう。母さんと話す度に、彼女の名前が出るし、夕日を見る度に彼女の姿が思い出される。

 そんなある日。夏休みまであと二、三日に迫っていたときのことだ。

 家に帰ると、リビングのテーブルに書き置きを見つけた。

 母さんの字で大きく、

『お客さんが来るから出迎えといて』

 とだけあった。

 そのときは何も思わず、紙を戻して水を飲み、二階へ向かうために鞄を持った。

 リビングを出ようとするも、あの紙に意識が引き寄せられる。おかしいとは思うんだ。そもそも母さんがあんなものを残しておく質の人なのか。

 なんとなく気になって、また紙に目を通す。

『お客さんが来るから出迎えといて』

 A4の紙にこれだけ。大きく余らせている。なんだ。なんでわざわざこんなものを。見て下さいと言わんばかりに、ここに置いたんだ。

「…………」

 紙を裏返した。本当に、何気ないことだった。

 裏面にも字が書いてあった。手書きの文だ。見たことのない筆跡だった。見ただけで、女の子が書いたと分かるような、丸い文字。

「なんだこれ?」

 目を通した。

 刹那。

 世界が縦に回転した。

 ガダン、というのは、俺が尻餅をついて椅子を蹴飛ばした音だった。まだ、視界が定まらない。目の前を、あの文が飛び交っている。

 俺は見た。

 一番上の行だけ少し太い字で、

『ネ タ ば ら し』

 と。

 チャイムが鳴る。件の客が来てしまった。

 俺は紙を持ったまま玄関へ行く。

 扉の向こうで、見覚えのある影が揺れている。華奢な体躯に、肩にかかる髪。笑い声はきっと、耳をくすぐるような心地の良いものだろう。こんな美少女を、見間違えることがあるのか。

 手から紙がすり抜け、ひらひらと舞いながら床に横たわった。

――やあ男子高校生。いきなりだけど、今まで騙していてごめんね。実は、蜻蛉が人間になったなんて話は、本当は無いの。全部、私とキミのお母さんの作り話。キミと一週間過ごしていたのは、人間になった虫じゃない。普通の人間。私がずっと、虫の女の子を演じていたんだ。

 でも、何も私たちはキミを騙すためにやった訳じゃない。元々はキミのお母さんが考えたことなんだ。キミが落ち込んでいるのを助けようとね。だから、あの一週間で私がキミに言ったことは、紛れもない本当のこと。それだけは信じてほしいな。

 それと、私にドキドキしていたキミ、初々しくて可愛かったよ。これからたくさんからかっちゃおうかな(笑)。

 冗談はさておき。大学も夏休みだし、私が出来ることなら何でも手伝うから。キミは安心して、自分のやりたいことに突き進んでいいからね。

 会いたかったよ。             あなたの従姉より

ここまで読んでいただきありがとうございました。

もう一度読まれる方はこちらからどうぞ。

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